早稲田大学は大隈重信によって1882年(明治15年)東京専門学校として創設されました。明治14年の政変で下野した大隈重信は近代的な立憲国家の建設のためには、政党政治の実現とそれを担う人材の育成が必要と考えたからです。学校創立の中心となったのは小野梓、高田早苗、天野為之、市島謙吉といった人達でした。入学者80名。創設当時の学科は政治経済学科、法律学科、理学科、英学科でした。
現在の早稲田大学は大学13学部、大学院23研究科(専門職大学院、独立大学院を含む)その他高等学校や専門学校を含め5万5千人を越える人々が早稲田で学んでいます。大学院、研究環境の充実、専門職大学院であるビジネススクールや法科大学院などの設置は、学問の高度化、多様化、実社会のニーズに直結する生の学問を教える場として、学部から、また社会人に対して、学問の場を広く提供しているのも早稲田大学の大きな特徴といえるでしょう。
受験生の皆さんは、将来、政治、経済界または法曹界で活躍することを志す方や、マスコミ、文芸、スポーツ界で活躍される方々などあらゆる分野において日本国内での活躍は勿論のこと、世界で活躍する人間を志して早稲田の門を叩こうとされていると思います。早稲田大学は受験生の皆さんの様々な志に応えてくれるでしょう。
早稲田に対するイメージとして一般的に在野精神・反骨精神・学ラン、角帽などバンカラなイメージを思い浮かばれると思います。それゆえ早稲田は一般庶民に親しまれる大学として早稲田大学は「私学の雄」の呼ばれ、日本の私大トップに位置する総合大学なのです。
「都の西北 早稲田の杜に・・・・わせだ わせだ
わせだ わせだ
わせだ わせだ わせだ」
明治40年に制定された校歌「都の西北」は誰からも愛され親しみやすいメロディーと早稲田大学の教旨を謳いあげ、校歌としてはあまりにも有名です。また、応援歌「紺碧の空」は慶應義塾大学の応援歌「若き血」に対抗するためにつくられ、こちらも校歌同様、誰もが知っている応援歌になりました。
早稲田大学は「私学の雄」と呼ばれ日本を代表する総合大学の地位に甘んずることなく、アジアひいては全世界を視野に入れ、「早稲田からWASEDAへ」世界の早稲田大学への変貌を遂げようとしています。